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Caesar Pot(シーザーの鉢)


(高さ42cm、上部の口径26cm)

昔のコインのようなデザイン、「CARSAR」(シーザー)の文字


このPot(鉢)をセカンドハンドショップで見つけました。 下部が破損していたので少し考えましたが、このサイズの物は、なかなかセカンドハンドショップで見つけることが出来ないと思い購入することにしました。値段はNZ$12(約936円)でした。


「CARSAR」(シーザー)について


「CARSAR」(シーザー)は、日本では英語読みの「ジュリアス・シーザー」でお馴染みの共和政ローマ末期の政治家、軍人であり文筆家です。(紀元前100年から紀元前44年)


古典ラテン語では、Gaius lulius Caesar(ガイウス・ユリウス・カエサル)と言います。この名前の意味は、ユリウス氏族に属するカエサル家のガイウスと言う意味だそうです。


紀元前58年からシーザーは、イタリア北部のガリア地区の総督になりました。そして紀元前51年まで続くガリア戦争が勃発しました。この戦いの記録があの有名な「ガリア戦記」です。これはシーザーが自ら手書きで記した遠征記録だそうです。


紀元前49年、共和政ローマの三頭政治が崩壊したことで内部分裂が起こりました。ガリア地区にいたシーザーは、軍隊を率いて渡ってはいけないと法で禁じられていたルビコン川を軍隊を率いて渡りました。この時シーザーが言った言葉が、「賽は投げられた」です。

このことにより共和制ローマの内戦が始まりました。内戦は紀元前45年まで続きました。


*その昔、シーザーはアルプスの山の中の小さな村を通過する時に、「ローマで2番目の地位に甘んじるくらいなら、ここで最高の地位に就いたものだ」と言ったと言われています。ルビコン川を渡る時もまだその気持ちは変わっていなかったということでしょう。






紀元前48年、エジプト王家の内紛の裁定のために、シーザーはエジプトを訪れました。劣勢にいたクレオパトラを救うことでクレオパトラはシーザーの愛人となり、シーザーの子供を産んだと言われています。


紀元前47年、トルコに勝利したシーザーは、「来た、見た、勝った」という簡潔な方法の手紙でローマに勝利を伝えました。(現在使われているキャッチコピーの元祖かも)


紀元前46年、シーザーは10年間の期限付きで共和政ローマの独裁官(Dictator)に就任しました。

*独裁官(Dictator)は、共和政ローマの公職で、強大な権限を有する政務官で、国家の非常事態に1人だけ任命された。後の「独裁者」の語源になっています。


紀元前45年、シーザーは終身独裁官にった。


紀元前44年、シーザーは、ローマ元老院議場内で仲間によって暗殺されました。その時に「ブルータス、お前もか」と言って倒れたと言われています。


その後、ローマは帝政に移行し、シーザーの養子だったオクタビアヌスが初代ローマ皇帝の座に就きました。


(余談)


*「カエサル」(シーザー)の名は、帝政初期のローマ皇帝が帯びる称号の一つになりました。ドイツ帝国の「カイザー」、ロシア帝国の「ツァーリ」の語源にもなっています。


*シーザーは、ローマ歴(太陰暦)を改正して、ユリウス暦(太陽暦)を制定しました。この暦はグレゴリオ暦が採用されるまで、1600年以上に渡ってヨーロッパで使用されていました。ちなみに、ユリウスはシーザーの名(ガイウス・ユリウス・カエサル)から取られています。


「織田信長はシーザーの生まれ変わり?」この二人の人生が凄く似ているような気がしました。


なので、Caesar Pot(シーザーの鉢)の割れが味わい深いものに見えて来ました。



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