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街のど真ん中に原生林を残した兄弟

更新日:7月2日


写真のコテージの後ろに7.8ヘクタール(23595坪)の原生林が広がっています。この原生林がクライストチャーチの街の中に奇跡的に残ったのは、ある兄弟の先見の明があったことに起因しています。


クライストチャーチでは、その兄弟を「ディーンズ兄弟」と呼び、語り継がれて来ています。


1817年1月31日生まれの兄、ウイリアム・ディーンズと1820年5月4日生まれの弟、ジョン・ディーンズのことを「ディーンズ兄弟」と言います。


彼らの父はスコットランドで公証人をしていて、彼らにも弁護士になる訓練を受けさせていましたが、彼らの関心は、海外へ移民に行くことでした。 その為にスコットランドの農場で働いて農業を学びました。


彼らは英国に拠点を置く、ニュージーランド会社の植民地化計画に参加することにしました。


最初に兄のウイリアムが、ニュージーランド会社の計画したウエリントン入植計画で販売していた土地を購入しました。 そして、1839年9月、ロンドンからウエリントンへ向かうニュージーランド会社の最初の船「オーロラ号」で出航し、1840年1月22日にポート・ニコルソン(ウエリントン)に到着しました。


ウイリアムがウエリントンについてみると、購入していた土地の権利問題が発生していました。 当時、英国政府は正式にニュージーランドを英国の植民地にしようと行動している時でした。 それまでのニュージーランドでは、先住民のマオリ族と西洋人の個人が直接交渉して土地の権利を取得していました。 西洋的な土地取引の知識がないマオリ族は悪徳な西洋人に騙されて土地を安値で取られていました。 それを阻止するためもあり英国政府はマオリ族との間の植民地条約締結に急ぎました。


*1840年2月6日、北島ワイタンギにおいて、先住民族マオリ族とイギリス王権との間

 でワイタンギ条約が締結されニュージーランドは英国の植民地となりました。


なので、ニュージーランド会社が購入したと主張した土地も英国政府により横やりが入っていました。


そういう不安定な中、ウイリアムは農業を営んだり、測量士として働いたり、ファンガヌナ、タラナキ、ワイララパなどを探検したりしました。


1842年半ば、ウイリアムは、南島の東海岸を船旅しました。 ポート・レヴィに寄港した時に、ポート・クーパーの丘(現ポートヒルズ)の向こうにある平原の話を聞きました。 

*平原とは後にクライストチャーチになる場所でした。


話を聞いたウイリアムは、その平原を確かめることにしました。 船でオタカロ川(現エーボン川)を少し上り、上陸して沼地などがある陸路を歩いて行きました。 ある場所まで来て同僚の肩に登って周りを見ると、高い木が群生している原生林を見つけました。 


ウイリアムは、「あそこの家を建てたい」と叫んでいました。その場所は、マオリ族は、「プタリンガモツ」と呼んでいました。


ウイリアムは、弟に自分が南島で見つけた「プタリンガモツ」のことを知らせました。弟のジョンは、1842年10月25日にネルソンに到着しましたが、購入していた土地に不服を持っていましたので、兄と合流して一緒に兄が気に入った場所に行くことにしました。


1843年2月9日、兄弟は政府当局に「プタリンガモツ」での農業許可を申請しました。 マオリ族の居住地を避ける事という条件付きで許されました。


1843年2月10日、ウイリアムは、スコットランドから来ていたゲビーとマンソンの家族と一緒にポート・レヴィへ向けて出港しました。 帆船でオタカロ川(エイボン川)の河口に入って行き、そこからは捕鯨用の漕ぎ船に乗ってオタカロ川を遡って行きました。 漕ぎ船が入れる所まで行き、そこで煙突用のレンガを陸揚げしました。 その後、カヌーに乗りさらに川を遡って行き、現在クライストチャーチ女子高校が建っている場所で物資を下ろしました。


「プタリンガモツ」に到着した一行は、最初の家の建築に取り掛かりました。 釘をウエリントンに忘れて来た彼らは木釘を使って家を建てました。 ゲビーと女性や子供はその間、ポート・レヴィに滞在していました。


「プタリンガモツ」に農場が出来上がって来ると、ゲビーとマンソンの家族はポート・クーパー(リトルトン)の岬の先に自分たちの農場を設立するために去って行きました。


一方、弟のジョンは、羊と牛を買うためにウエリントンからシドニーとニューカッスルに航海しました。 1843年6月に戻って来ましたが、その航海は海が荒れて羊や牛に損害が出ました。


1846年12月3日、農場経営も軌道に乗り出し、より多くの土地が必要になって来ました。 そこで地元のマオリ族の酋長と交渉した結果、「プタリンガモツ」から全方向に6マイルの土地を21年間賃貸契約することが出来ました。 賃貸料は年間8ポンド(現在の価値で40万円?) 6マイルは9.6Kmなので、今のクライストチャーチの住宅地がすっぽり入ってしまう大きさになります。 それが年間40万円だったとは・・・・・


農業経営を拡大したディーンズ兄弟は、アカロアやウエリントンに家畜、ジャガイモ、小麦を販売、オーストラリアへオーツ麦や大麦を販売、ロンドンへは羊毛を販売出来るまでなっていました。





1848年半ば、英国政府とニュージーランド会社が、マオリの大部族のナイタフの土地の大部分を購入しました。 ニュージーランド会社は、カンタベリー協会にポート・クーパー平原(現カンタベリー平野)の植民地化する権利を委託しました。


その為、ディーンズが結んでいた賃貸契約は無力化してしまい、農場経営の個人的独立は厳しくなってしまいました。


ディーンズ兄弟は、ニュージーランド会社から購入していたネルソンとウエリントンの土地の権利と引き換えに、農場用の400エーカーを所有することで決着がつきました。

*400エーカーとは489600坪(東京ドーム35個)になります。


1848年、クリスマスの日に、カンタベリー協会の依頼を受け、新しい入植地の測量に来たトーマス大尉とディーンズ兄弟との間で話し合いが持たれました。 そこで、ディーンズ兄弟の農場がある「プタリンガモツ」を彼らの故郷(母親の生まれ故郷でもある)の名前を取って「リカトン」と呼ぶことと、オタカロ川を彼らの祖父の農場の中を流れている小川の名前を取って「エイボン川」と呼ぶこと、そして、「プタリンガモツ」にある原生林の半分は新しい入植者の木材や薪を提供するためにカンタベリー協会に利用の権利を、残り半分はディーンズ兄弟が管理する権利を持つということが決められました。



1850年4月、クライストチャーチに入植者が入って来ると彼らの農業に支障をきたす恐れがあったので、事前に羊を丘陵地帯の約15000エーカーある場所へと移動させましたが、

カンタベリー協会の代表者であるジョン・ロバート・ゴッドリーは、それを許しませんでした。 長い議論の末に、暫定協定が合意されました。


1851年5月、兄のウイリアムはオーストラリアへ多くの家畜を求めてポート・クーパー(リトルトン)からウエリントン経由でオーストラリアへと航海に出ました。 


1851年7月23日、ウイリアムの乗った船が、ウエリントン近くのテラフィティ岬近くで難破してしまい、ウイリアムは溺死してしまいました。 34歳という若さでした。


1852年初頭、ジョンはスコットランドに一時帰国しました。 それは、ニュージーランドへ来る前の2年間働いていた農家の娘さんであるジェーン・マクレースに会うためでした。


1852年9月15日、ジョンはスコットランドのリカトンでジェーン・マクレースとめでたく結婚しました。 


ジェーンは、ジョンが彼女の家で住みながら農場で働いていた時、彼に好意を感じていたようですが、「家に住んでいる男性とは結婚できない」と彼女は考えていたそうです。

また、1850年にジョンが彼女の父親に、彼女女との結婚する許可をもらう手紙を書いた時も、ジェーンは、未婚の女性が一人で旅してニュージーランドへ行けないと拒否していました。


1853年2月2日、ジョンはジェーンを連れてクライストチャーチに帰って来ました。 


1853年8月6日、一人息子のジョン(父親と同じ名前)が生まれました。


帰国して間もなく、ジョンは体に不調を感じ出しました。 しばらくは事務管理などを続けていましたが、1854年6月23日に結核でジョンは帰らぬ人となってしまいました。 


奇しくも兄が亡くなった年齢と同じ34歳でした。


ジェーンは、ジョンとクライストチャーチで暮らせたのは、たったの1年半でした。ジェーンはその時31歳でした。


夫の死後、ジェーンは女で一つで農場経営をし、息子を育てて行きました。


そして、立派に夫の後を継ぎました。 彼女は、クライストチャーチの先駆的な女性のリーダーともみなされ、地域社会に貢献しました。


1911年1月19日、ジェーンは夫の待つ天国へと召されて行きました。 88歳でした。


彼女のお墓は、クライストチャーチの夫と同じバーバドス墓地にあります。


ジェーンには、夫から託されていた大切な仕事が一つ残っていました。 自分の家の横にある原生林を将来の人々につなげることです。


1914年、ディーン家から、原生林の「リカトン・ブッシュ」が、カンタベリーの人々に贈られました。


その行為は、ディーンズ兄弟がもっとも望んでいたことだったと思います。


昔、兄のウイリアムが、原生林を見つけ「あそこの家を建てたい」と叫びました。


今、その場所に、「リカトン・ハウス」と呼ばれる立派なお屋敷が建っています。



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